2011. 4. 6 Wednesday
≪『明日ありと想うこころのあだ桜、夜半に嵐の吹かぬものかわ・・・』≫
これは、親鸞が9歳の時、得度される前夜に詠った詩で、「諸行無常の世界」が巧みに表現されていると言われています。 さて、気象庁は6日、東京の桜(ソメイヨシノ)が満開になったと発表しました。
この冬は寒さが長引いた印象がありましたが、平年より1日遅く、昨年より5日遅かった、とのことです。
さくらはバラ科サクラ属サクラ亜属に分類される木であり、落葉広葉樹とのことで、日本人に古くから親しまれています。 また、文化にも深くかかわっており、古代では、緑が生え稲作を始める時期に咲くため、暦代わりに使われていたと言われています。
更に、さくらの花は往々にして葉が出そろう前に花が咲きそろい、この「何もないところに花が咲く」という状態に、古来生命力の強さを感じたことが、日本では最も一般的な花でありながらも、最も愛されている花とされているようです。
ところで、冒頭に掲げた親鸞の詩ですが、こちらは毎年このさくらの季節になると、私自身が改めて思い起こし、しかし十分に実現できているかと問い直すと、素直にはYESと答え難い誠に奥深いものなのです。
親鸞は、貴族の出身であったものの下流貴族で、父母を亡くし生活にも困窮しており、わずか9歳で出家されたと伝えられています。
親鸞は「得度」するため青蓮院の慈鎮和尚のもとを訪れた時、すでに夜は更けていました。
得度には時間もかかりますし、たくさんのお弟子を集めなければなりません。
「もう遅いから明日にしよう」といった慈鎮和尚に、9歳の親鸞は和歌を詠んで答えたといいます。
『 明日ありと想うこころのあだ桜、夜半に嵐の吹かぬものかわ 』
「この世は無常であり、今を盛りと咲く桜が夜中の嵐で散ってしまうかもしれません。
同じように、私の命もいつなくなってしまうかわかりません。 どうか、今ここで得度の儀式を執り行って下さい」・・・・・。
そのことばに心打たれ、慈鎮和尚はすぐに得度の手配をされたということです。
例え今がどんなに順風満帆であったとしても、明日の未来は誰にも予測することはできません。
であれば、今流れているこの一分一秒を如何に充実させるか、またさせる努力を惜しまないか、問われてきます。
人生は長いようで意外に短く、その中で真に充実した時を過ごすこのできる時間はもっと短い・・・。
これらを改めて実感させてくれる、定点観測としての「さくらの季節」です。
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