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2011. 6.24 Friday
≪「コメ先物上場」・・・72年振りに復活か?≫

関西商品取引所と東京穀物商品取引所が3月に申請したコメの先物取引の試験上場について、農林水産省は23日「認可する方向」で検討に入った等と報じられています。

日本のコメ先物の歴史は江戸時代まで遡ることができ、1730(享保15)に大阪・堂島の取引を江戸幕府が公認したのが起源とされています(堂島米会所) 。 差金決済による先物取引が可能であり、現代の基本的な先物市場の仕組みを備えた、「世界初」の整備された先物取引市場でした。

 

当時大坂は全国の年貢米が集まるところで、米会所では米の所有権を示す米切手が売買されていました。 ここでは、正米取引と帳合米取引が行われていましたが、前者は現物取引、後者が先物取引です。 因みに、証拠金は「敷銀」といわれていました。

 

その後、明治期以降も東京米穀商品取引所など各地の取引所でコメ先物の売買は行われてきました。 しかし、昭和に入り戦時色が強まってくると経済統制が厳しくなり、1939(昭和14)の米穀配給統制法の施行に伴ってコメ先物取引は廃止されてしまいます。

 

戦後は政府によるコメの生産管理が行われてきましたが、1995年の食糧法施行、2004年の改正食糧法施行によりコメの流通はほぼ自由化されました。これに伴って、東京穀物商品取引所は200512月にコメ先物の上場を申請しましたが、その際は不認可となりました。

 

当時の中川農水相は、不認可の理由として「生産調整(減反)に支障をきたす恐れがある」点などを挙げました。これは、「投機的な価格変動が起きて生産現場に混乱をもたらす」として強硬に反対してきた全国農業協同組合中央会(全中)に配慮した判断であったと言われています。



( OCN 提供 )

今般再申請する背景には、政権交代によるコメ政策の転換があります。
生産調整の選択制と農家への戸別所得補償制度が導入され、コメ価格の決定を市場に委ねる方針が打ち出されたからです。 同時に商品取引所の経営環境が厳しく、コメ先物に新たな収益源としての期待を寄せている側面があることも事実でしょう。

 

さて、先物取引の対象となるのは、関商取が「北陸コシヒカリ」、東穀取が「関東コシヒカリ」で、両取引所の公開資料(「コメ試験上場の提案」平成2361)によると、共にコメ流通業者や商社など50を超える業者から参加の意向を得ているとのことです。

 

同資料では、生産者の利用例を挙げ、「農産物の価格は、天候等による作柄の出来・不出来、需要の季節性など様々な要因で変動します。 先物市場は、作柄等による価格変動リスクに対する保険の役割を果たします。将来、現物価格が値下がり又は値上がりしても、先に決めた値段で売れるので価格変動リスクを回避することができます。」等と説明しています。

 

卸売業者の利用例では、「先物市場には、「現金決済」のほかに、「現物受渡し」という取引所を通じて商品の現物を受けることによって決済する方法があります。 この現物受渡しの機能を活用することによって在庫を縮減することができます。」等のメトットを提示しています。

 

一方で、JA全中は、戸別所得補償制度の意味がなくなり、国の施策と矛盾すると指摘し、「主食であるコメをマネーゲームの対象とすることは食糧安全保障の観点からも問題」と猛反発の姿勢をみせています。

 

コメ・小麦・とうもろこしは「世界の3大穀物」と呼ばれ、世界に約170種ある農作物の中でひときわ生産量の多い品種であり、その価格変動は世界中の人々の生活に影響を与えます。

 

世界最大の穀物輸出国である米国では、とうもろこし・大豆・小麦など様々な農産物の先物が上場されており、農家は将来の農産物の価格を見ながら今年の作付け品種や作付面積、また在庫の売り時などを決定するなど、先物市場を有効に活用した農業経営を行っています。

 

JA全中は、先物取引を単純に「マネーゲーム」と定義してしまうのかや、もたらす懸念事項等は反証を挙げて具体的に説明して頂きたいものです。

 

因みに、大阪大学の宮本又郎教授の論文「堂島における正米価格・帳合米価格の動きとヘッジ機能」では、当時の堂島米会所でどれくらいの取引がリスクヘッジされたのかが掲載されており、1758年から1863年までの期間を対象に調べた結果、全体の取引のうち約70%のヘッジが有効に機能したことが紹介されています。





ところで、先物相場で百戦連勝、相場の神様といわれ、今でも現代に通じるチャート攻略法である「酒田五法」を作り出した人物と言えば、本間宗久です。

 

本間宗久は、江戸時代後期の1724(1717年の説もあり)に出羽国庄内(現在の山形県酒田市)にて、「本間様には及びもないが、せめてなりたや殿様に」とうたわれた酒田の豪商で大地主、本間家の初代当主・原光の五男として生を受けました。

 

宗久が初めて相場を張ったのは、本間家二代目当主である兄の光寿から本間家の営業を託されていた時代(1750年頃)と言われていますが、当時の実家の本間家は二十五万石ともいわれた豪農でもあり、コメの現物を背景にした上、作柄情報が刻々と入るという恵まれた環境の中、天才的な手腕を発揮します。

 

記録に裏付けられた合理的な作柄の豊凶予測とともに、大胆不敵で進退自在な攻防によって、連勝記録を打ち立てていきます。生涯での儲けは、現在の金額で1兆円以上になるともいわれています。天才の名声と巨万の富を得た宗久は、江戸根岸に豪邸を構えて悠々自適の生活を送りましたが、晩年は幕府の財政指南役として相談にもあずかっていたといいます。

 

そして、その本間宗久の相場観を元に作られた必勝法が、ローソク足の組み合わせからチャートを読み解く「酒田五法」です。日本では欧米でチャートが生まれるはるか昔に、優れた罫線法が作り出されていました。宗久は、その罫線に見え隠れする投資家の心理状態を読み、相場の必勝法を生み出していったのです。

 

拙著『相場に勝つローソク足チャートの読み方』の原点はここにあります。
未読の方は、是非とも購読頂き、ご活用頂ければと思います。

 


さて、穀物の先物市場についてですが、アジアが主な生産・消費地であるコメについては未だ指標となる先物市場が整備されていません。

 

日本がコメを主食とする国のひとつとして他国に先駆けて先物市場を整備することは、価格変動リスクのヘッジの場を提供するだけでなく、指標価格を提示することで他国のコメ生産者、消費者等にも恩恵をもたらすものと考えられます。

 

また、日本のコメの自由な市場の開設は、海外からの需要を喚起し、低下傾向にある日本のコメの消費量アップに繋がることも期待されます。 近年、「健康食」として日本食の認知度が急速に高まる中、その基本であるコメは「ブランド米」として中国など新興国の富裕層に益々浸透して行くことになるでしょう。

 

世界に先駆けて創設された「先物取引市場」と、伴って世界に先駆けて開発された「ローソク足チャート」・・・発展的に進化を遂げ、国際社会に寄与して行くことを期待しています。




〈ご参考〉

関西商品取引所 HP
東京穀物商品取引所 HP


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